オリオンの砲撃手
-orion's
gunner-
第二章 NOBLESS OBLIGE
ノーブリス・オブリージュ
-1-
世の中のどの程度が偶然で構成されているのかはわからない。
しかし、その偶然が重なって生命を産み、人類を生み、人類が文化を築き、
その文化の中で喫茶店が生まれ、女中さんが生まれ、偶然の組み合わせで…
まぁとにかく、石原があの「事故」に巻き込まれた理由は、各国のヲタ軍人
4名が台湾に出来たメイド喫茶に足を運んだところから始まる。
「いやなんていってるか全然わからんけど、レベルたけぇなぁおい」
そんな声を上げたのは石原だった。
「なにいってやがる。メイド喫茶の元祖の国が」
「…いらんもんだけ元祖押し付けるなよ」
「さすがにアレの起源主張しだしたらバカそのものだろ」
こう言い放つのは韓国軍の朴。この4人の中では最年長だった。ちなみに会
話は日本語と英語のちゃんぽん。日米韓台の4カ国のヲタ軍人が集っている
わけのわからない状況に店員さんも戸惑い気味だった。
「で劉さん、彼女たちなんて言ってるんだ」
「ご主人様、どちらの料理にいたしますか」
台湾軍の劉と同時に流暢な日本語でそういわれて4人ともびっくりしながら
結構どきどきしてしまった。
「…ふむ、ここのメイドはなかなかいい教育を受けているようだな。
御贔屓にさせてもらうよ」
アメリカ軍のジェームスが何故か日本語でそういった。さすがに耐え切れ
ず一同爆笑した。
「しかし俺日本と韓国のメイド喫茶知ってるが、ここには全然かなわんな」
「韓国のは知らんが、日本のはもうだめだ。やりたくてやってる人より、
金目当てでやってる奴のが多いんじゃないかとすら思う」
そんなヲタ話に花を咲かせる一堂。しかしその一方で、職務の話も出る。
機密レベルの話はさすがにやらないが、そこそこの話が出る。
「正直俺らのところ陸軍国のはずなのに、死刑台に逝ったあいつのせいで
えらいことになっちまった…困ったもんだ」
「困ったといえば大陸さんの活動活発だよなぁ…だからこうして合同演習
やったりもするんだけれど…本音言うと、なぁ…」
「それは本気で困るな。はぁ…その上国防費減らすとか、無茶すぎだ」
「どこもそうだ。それなのに大陸さんと来たら…」
そんな情報交換をするが、どこも景気のいい話はない。まぁ軍隊が景気が
いいってのもかなり問題ではあると思うのだが。
「それはそうと、今度は秋葉原だな」
「えー、もうメイド喫茶は止めとけよ」
「…もうメイド喫茶はいいから、それより例のサークルの…」
こんな話を30分もしていただろうか。急に劉の携帯に連絡が入った。
「…ちょっと待て。みんな、出るぞ!」
「どうしたんだよ劉」
「えー、もうちょっとご主人様やりたいー」
「何言ってるんだバカ、それどころじゃない!中国軍が侵攻してきた!」
その瞬間4人はすばやく立ち上がった。
「店員さん、これでお会計!お釣りはいらない!」
「出るぞ!」
疾風のごとく4人は席を立ち、店を飛び出した。確かに彼らはヲタだが、
軍人だった。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
半ば呆然としながら、店員はつぶやくようにそういった。
途中でタクシーを拾い、合同演習地点に向かう途中のことだった。
「なぁ劉さん、河…増水してないか?」
「地球温暖化の影響じゃないだろうか。今年台風多いかr…
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…なんだ、夢か。
夢というのはすごく中途半端なところで終わることが多いように思える。
石原は留置場の冷たい床で目を覚ました。とは言うものの普段使ってる
布団よりやわらかいのにはびっくりだった。犯罪者以下か俺は、と少しだけ
なさけなくなって5分ほどさめざめと泣いた。
それにしても、だ。なんか最近昔のことを思い出すことが多い。
現状があまりにアレだから楽しかった昔の事を思い出すのだろうか。
石原にとっては、なんだかんだで大変だった自衛隊時代ですら楽しかった
思い出になってしまっている。やはり…辞めるべきではなかったのだろうか?
少しだけ後悔をする。
「6番、出ろ」
そういえば、留置所内では番号で呼ばれるのだな、と思い出す。
朝飯の後は聴取だ。もう言いたいことは言い尽くしたし、後は黙って
ようか、と石原は考えていた。
…隕石が落下してこようというときにまともに聴取するのかも疑問だが。
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テレビ帝京スタッフの朝は早い。
石原が目を覚ました一時間前に、ディレクターの葛城は軽く体を動かして
山形の新鮮な空気を吸っていた。
外の気温は氷点下だ。それでもこの習慣はやめるわけにはいかない。
ロケ弁と車のなかに缶詰の生活では生活習慣病になるのも時間の問題という
ものである。せめてこうして体を動かしていないと。
(もっとも旅番組組はまだいいものを食べる機会もある分マシである)
「葛城さん、おはようございます」
「おはよう」
カメラマンの松下も起き出してきた。少々怪訝そうな顔をしている。
「あの…」
「どうした?」
「ロケ、やるんですか?」
「当たり前だろ。俺たちは『いい旅ニッポン』のスタッフなんだからロケする
以外に何の仕事があるんだよ」
「…本気でいってるんですか!?隕石落ちてくるんですよ隕石!」
「バカ野郎」
葛城は体をそらしながら松下の方を向く。逆さまの松下を見ながら言う。
寒くはあるが晴れていて風もないので心地よい。
「隕石が降って来ようがロケやるのが俺たちの仕事だっての。大体それが明日
とかならともかく、3年先じゃねぇか」
「…でも」
「デモもクーデターもバイオテロもあるか!今やるべき仕事をきちんとやるのが
大事だろ」
「…そういうものですかねぇ」
地球温暖化、といわれてはいるが山形はさすがに冷え込む。
この分だと今年はここ山形に関しちゃ雪も多そうだ。スキーにでも来ようか。
一通り体を動かし終えた葛城は、自分より一回りは若い松下を若干うらやま
しそうに見ながらさらに続ける。
「おまえは若いから、隕石が落下することを伝えることが大事だと思うかも
しれないが、それはNKH(日本公共放送)やら他の局がやるべき仕事だ。
俺たちの仕事は、そのような状況下であっても、『日常』を放送し続けることだ」
「『日常』、ですか」
「そうだ。仮に全部の局が同じ放送始めてみろ。他にもニュースや情報は山の
ようにある。それらが全部伝わらなくなっちまうってもんだ」
「なんかそれ困りますね」
「困るのは俺たちじゃないんだ。視聴者が困るんだよ。だから、視聴者のこと
を考えると、あえて『日常』を伝える。これが大事なんだ」
なんか説教臭くなったな、と葛城は軽く自嘲する。
葛城の発言は、テレビ帝京の方針でもある。世間的に見りゃ変な放送局である。
だが、彼らの方がよほど他の放送局より視聴者の方を向いているという意見
も少なからずささやかれていた。
最近ではついに首都放送を上回る平均視聴率を獲得するようになったテレ帝の
存在は最早否定できるものではない。
「じゃ早速、『山形うまいもん』のロケ行くぞ!」
「はいっ!」
そういうと二人はロケのための準備のために駆け出して行った。
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市ヶ谷の一室で、武宮がその話を聞いたのは登庁直後だった。
「石原が暴力事件!?なんだよそのネタ話は」
武宮がそう思ったのも無理はない。品行方正、とまではいわないが、隊に
いた頃の石原の勤務態度は極めて良く、少なくとも隊内でトラブルを起こした
ことなど一度もなかった。
「なんだって石原の奴が暴力振るうんだよ。そんなキャラだったかあいつ」
「いえ、どうもそれが…あの、ヲタク狩りとかいうに巻き込まれたらしく」
部下の一人が、おずおずと言う。
「…あちゃー」
武宮は思わずそういってしまっていた。元自衛官がヲタク狩りに巻き込まれる
こんな世の中じゃ。思わず窓の外を見る。今年は暑かったとはいえ、さすがに
もう秋の日差しだ。
「…で、どんな感じであいつ暴力振るったの」
「それがなんか4人ぐらいの若い連中が追いかけてるのが目撃されてて、
どうもそのうちの一人は元力士だったとか…」
「力士相手に良く喧嘩する気になったなあいつ。で、勝ったのか」
「なんか全員ボコボコにしたようですよ」
「うん、よくやった」
机を両手で勢い良く叩いて、一人の部下が飛び跳ねるように立ち上がって
半ば叫ぶように言った。
「…よくやった、じゃないですよ!またマスコミが何言うかわからないじゃ
ないですか!」
「大体仕掛けてきたのが相手で、殴られっぱなしじゃ舐められるってモンだろ」
武宮はどっかの防衛組織みたいにな、と小声で付け加える。
「しかも元力士までいたんだろ。それでボコられてるんじゃあ情けないのは
連中だろが。それに大体あいつはもう隊の人間じゃないんだ…」
あのエリート馬鹿のせいで。これも聞こえないようにつぶやく。
「しかしほんとヤな時代だぜ。石原は辞める、隕石は落ちてくる…」
「はぁ」
「そういやあいつ身よりないだろ。どうすんだ身元引き受け」
「親戚ってのもほとんどいませんよね確か」
「…まさか…俺?」
「そうなるんじゃないですか残念ながら」
「そっか。んじゃしゃーないなぁ。とりあえず警察に電話するわ」
そういいながらも武宮はどこか楽しそうだった。
「よろしくおねがいします」
そんなどこか楽しそうな武宮を見送る部下たちも、無表情を装っては
いたが内心楽しそうではあった。
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全然楽しくない男たちがここにいた。
NASAにかかってきた電話の数は過去史上最高の12万件を記録した。当然の
ように回線はパンク。全米くらいならまだいい。全世界規模でNASAに問い
合わせの電話をかけて来られたせいで、本来対象となるべき相手とのやりとりが
出来なくなるという異常事態になったのだ。
加えて、米国政府からのさまざまな圧力といったら耐え難いものがあった。
「本当なんだろうな?」「外れたらこのパニックの責任取るんだろうな」
そんな風に言われても、実際のところまだ観測中、計算中なんだから、今後の
観測結果に左右されるとしかいえないのだ。
そうやって発表した以上は当たってもらわないと困る、とでもいうのだろうか?
冗談じゃない。外れたほうがいいに決まっている。
いいに決まっているが、隕石は地球に当たるのだ、一定の確率で。それは
過去の歴史が物語っている。そして過去の歴史を軽視するものは、必ずと
いっていいほど歴史にしっぺ返しを食らう。
そんなわけで再び彼らはありとあらゆる再計算を行っていた。
なんだけど、その計算だって一日やそこらで出来るもんじゃない。
下準備、最新の観測結果の差分、プログラム再実行などなど、膨大な作業量が
発生する。そしてその分の人件費は、ただでさえ圧縮されているNASAの予算に
追加ダメージを与えることとなる。
結論はまだ出ていない。しかし、電話はなる。
閑というわけではなく、余裕が出来た人間が応対する。
最初のうちはみんなに応対していた。しかしそれではきりがなくなりだした。
結局現在は、政府系機関以外からの問い合わせを一切シャットダウンする形に
して、応対を行っている。
いや、それですら数千件の電話である。しかもほとんど意味のわかっていない
書類ばっかり読んでる役人から、それなりに知識を持っている役人までさまざまな
連中がひっきりなしに電話をかけてくる。
NASAの内部は最早ある意味戦場だった。
戦場というよりデスマーチ現在進行中ってほうが正しいかもしれない。。
仮眠を取るために床に転がって寝る奴。カップヌードルすすりながらコマンド
ライン叩く男。奇声を発しながら髪の毛をかきむしりつつキーボードを叩く奴。
何よりみんなわかっていたのは、これが「始まりに過ぎない」ことだ。
ケンは同僚に冗談でこんなことを言った。
「どう転んでも、3年後にはすべて片がつくんじゃないのか?」
同僚はあきれながらこう返した。
「その前にみんな死んじまうわ!」
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「で、正直なところ、あと何を聞けばいい?」
とてもおかしなことを、警官は言った。
「はぁ?」
「いやな、昨日大体話は聞いたし、あとは適当に傷害で立件でもすりゃ
いいかと思ってるんだ。まぁ怪我も言うほどのことないし、まさか
あいつらも裁判沙汰にしたくはないだろ」
「なんか無茶苦茶言ってません?」
さすがに石原もあきれた。
「それよりお前さん、身元引き受けどうするんだ」
「別に」
「別にて、正直俺らも閑じゃないんだ。なんか昨日あたりから隕石騒ぎで
新大久保とか歌舞伎町で大騒ぎになってるらしい。それがこっちにも
伝わってきたのか知らないがえらい苦労してるよ」
「はぁ」
「だから適当にお前さんには帰ってもらいたいと、まぁこういうわけで」
「といっても…両親は10年前に事故で死んでるし…親戚もいないし、と
どうしょうもないですよ」
「何言ってる。こうなったら前の職場の上司にでも引き取ってもらうぞ」
「ええぇぇっちょと」
なんてやりとりがあったのが1時間ほど前であろうか。
石原にとってある意味やりにくい上司である。武宮という男は。
常に飄々としている。彼が困る事態などこの世にあるのだろうか、と
本気で思うことがある。泰然自若。まさにこの四文字熟語がすべてを
あらわす男、それが武宮である。
やりにくい、とはいったが馬が合わないというのとは微妙に違う。
水と油というわけではなく、水と界面活性剤というか洗剤というか。
水と油すら混ぜてしまう。そんな上司だった。
電話を待つ。
ほかにすることもない。一体何なんだこの嫌がらせは、と思う。
なかなかかけて来ない。
着信音。何故か一回でキレる。
また着信音。また何故か一回。
三度目の着信音のときに、反射的に石原はすばやく手を伸ばした。
「何やってるんですか相変わらず!」
「そういうお前のほうが何やってるんだよ」
「何って、まぁ…暴力沙汰というかなんというか…」
「おまえなぁ」
「すいませんでした」
「いや、そりゃいいんだっての。相手『が』悪いしありゃ。」
『が』のところを武宮は非常に強く強調した。
「そんなこっちゃねぇよ。お前辞めたりしなけりゃこんな事故にでも
巻き込まれることなかったろうにさ…このバカ」
「はぁ」
「まぁやっちまったもんはしょうがねぇや。で、これからどうする」
「どうするっていわれても…」
「う…困ったねこりゃ。あ?あ、わりぃ、後でかけ直す」
「はぁ??」
「すまん、急な連絡だ、じゃ」
身元引き受けの話をするんじゃなかったのか?と石原は呆然と電話機を
30分ほど見つめるしかなかった。
一体なんだってこんなことに。
ヲタク狩りには襲われる、隕石はふってくる、上司には電話切られる…
…あぁ、俺がニートだからだねしょうがないね。
…彼に出来ることはもはや現実逃避しかなかった。
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